鹿角紋
全国に鹿を神使とする神社は多い、
出自の異なる近藤氏共通の紋となっている。
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鹿は古くはシシ、またはカといっていた。とくに雌鹿を「メカ」というのに対して雄鹿を「セカ」といった。このセカがシカに転じた。古来、鹿は神の使いとして信じられていた。とくに奈良の春日神社の鹿は昔から有名である。これは、鹿島の神が鹿に乗ってきたことから神使として大切にされるようになった。諏訪信仰の鹿もよく知られているが、これは七十五頭の鹿を生贄として供えたという諏訪明神の神事によるものである。また、安芸の厳島神社の神使としても知られている。一方、鹿角は戦国時代の武将たちが好んで兜の前立として用いた。このように鹿角は、
神社とのゆかりや尚武の心から家紋に用いられるようになったようだ。
鹿紋を用いる武家としては清和源氏満快竜の諏訪氏、桓武平氏良文流の君島氏の幕紋が知られる。君島氏のものは、
「君島系図」をみると牡牝四頭の鹿に薄を配した図柄で紋章というよりは写生画のようなものである。
ほかに、藤原氏秀郷流・清和源氏・未勘源氏の近藤氏が使っていて、近藤氏の代表紋となっている。
近藤氏のなかでは、
秀郷流がもっともあらわれ、「家譜」に、乗直は家康の祖父松平清康に従い三河国宇利の丸山で猟をした、
そのとき鹿一頭をとらえてその角を引き裂いた。清康はその勇力に感じ入って、以後「鹿角」をもって家紋とすべしと
言葉を頂戴したと伝える。とはいえ、それでは近藤氏が共通して鹿紋を用いる説明としては弱い。
おそらく、近藤氏の祖神が春日神社に祭られているところからきたとする方が納得できる。
他方、安倍倉橋麻呂の後裔を称する奥州金氏が「八枝の鹿角」を用いた。こちらは、金是国が狩において将軍義晴より
賞され命により名を是鹿と改めた、家紋を八枝の鹿角にして代々名乗りの一字を鹿にしたと伝えている。
その他、鹿倉氏も鹿紋を用いるが、こちらは名字の一字を採ったものと考えられる。
図案としては、抱き角・抱き角丸などがある。枝の有るものを「枝角」といい、枝の出方で本支の区別をつけている。一方、枝のないものは「袋角」といい、
違いになった図柄が代表的なものである。
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写真:春日大社の神使、奈良公園の鹿
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金 氏 |
近藤氏 |
富沢氏
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どこの家にも必ずある家紋。家紋にはいったい、
どのような意味が隠されているのでしょうか。
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