平将門の紋
江戸時代には、荒馬を繋ぎとめた形の「繋ぎ馬」の紋が平将門の紋であると広く信じられていた。
平将門は関東で旗揚げし、謀反を起こした。歴史上は逆賊である。平貞盛、藤原秀郷らによって平定された。しかし、
関東では逆賊と思われていない。平安貴族が京都で安逸をむさぼっているために、義兵を
挙げたということになっている。いわば東国の盟主である。天もこれを嘉し給うて、その謀を愛で、
天から黒馬を下し、将門をはげました。しかし、この馬は、天与のもので普通の馬ではない。
将門以外は乗ることができなかった。それで繋いでおくことにした。これが「繋ぎ馬」の由来である。
実は、将門の時代には、まだこうした家紋は用いられていなかったらしいが、この勇ましい紋は将門に
ふさわしいと思われたのだろう。
下総に つないだ馬の やかましさ
というように、川柳には将門のことを馬にたとえて詠んだものが多い。かれが伯父の国香を討ったことについては
じゃじゃ馬に 常陸の伯父御 くいつかれ
などと詠まれている。
将門十一代の孫を師常という。下総国相馬を支配して、相馬氏を称した。また、将門八代の孫の胤光は、
武蔵国荏原郡三田村に住み三田氏を称した。これら将門から出た系は、みな「繋ぎ馬」紋を用いる。
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2010年の大河ドラマは「龍馬伝」である。龍馬をはじめとした幕末の志士たちの家紋と逸話を探る…。
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