姓氏から探る
姓氏は家紋と密接に関わりあっている。家の観念というものが父祖伝来の意識の上に立っていることで、家紋も起こりえたと考えられる。
家の存在を最初に高揚させたのは「新撰姓氏録」の完成だった。京畿に住む千百八十二氏を皇別、神別、諸蕃(渡来人系)、未定雑姓にわけ系譜を整理した。皇別は天皇系、神別は天神・天孫・地祇系、諸蕃は漢土・百済・高麗・新羅・任那系である。
この諸蕃の氏のなかでも歴代の功績を認められ、国人と同姓を与えられた族もある。坂上・大蔵・丹波・泰の諸氏がそれ。しかし世代を経て室町時代以降では、ほとんどの氏が皇裔とか神裔の氏人へと変化している。「新撰姓氏録」には、編集者の周辺に勢力をもったものが、いち早く登録されたことだろう。かててくわえて、時の流れに乗った権門に近い家系と姓氏を名乗った方が有利だったに違いない。林・雀部・伊蘇氏らが紀氏を、狛・久努・小殿氏らが阿部氏を名乗ったのが好例だ。
かくして、中央に名を馳せようとする者、仕官を望む人々は、多少の縁故を求め、入むこ・養子となって権門勢家の
系譜へもぐりこみ。源平藤橘などの大姓の中へ吸収されていった。こうして、
姓氏の総称は減少していったと考えられる。その結果、家紋としては、藤原氏なら「藤」、源氏なら「笹竜胆」、
平氏なら「蝶」、菅原氏なら「梅鉢」などともてはやされるようになった。
・左から: 下り藤 笹竜胆 揚羽蝶 梅鉢
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しかし、使用紋については事実そうなのだろうか。安藤・伊藤氏など藤原氏の流れの氏が、たしかに「藤」紋を
用いてる。だが、藤原氏の総本家ともいえる近衛家は「牡丹紋」である。近衛家の支族である鷹司家、難波家も同様の
「牡丹紋」だ。となると、藤原氏が「藤紋」とは断定できない。
【摂関家の紋】
源氏の場合はどうか。「竜胆紋」の通説は信じていいのだろうか?。結論からいえば村上源氏の家系だけが
用いている。源氏で一番の大族は清和源氏だが。そのなかには、新田氏族(一つ引き両紋)、足利氏族(二つ引き両紋)、
佐竹氏族(五本骨扇に月紋)、武田氏族(菱紋)、土岐氏族(桔梗紋)などの数多くの家系が含まれている。
さらに源氏には嵯峨源氏、仁明源氏、文徳・陽成・宇多などなどの源氏があり、まさに多岐をきわめている。
平氏も同様だ。
・左から: 一つ引き両 二つ引き両 菱 桔梗
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平氏の場合は桓武平氏が最大の氏族を抱えている。主なもので、北条氏族(三つ鱗紋)・伊勢氏族(揚羽蝶紋)・
三浦氏族(丸に三つ引き両紋)・千葉氏族(月星・九曜紋)・秩父氏族(右三つ巴紋)などがある。これらを見ても、
平氏を「蝶紋」とするわけにはいかない。
・左から: 三つ鱗 丸に三つ引き両 九曜 三つ
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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応仁の乱当時の守護大名から国人層に至るまでの諸家の家紋
二百六十ほどが記録された武家家紋の研究には欠かせない史料…
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そのすべての家紋画像をご覧ください!
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