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神 紋(社紋)


 家紋と同じように、神社にも紋所があり、これを神紋と呼び、また社紋ともいった。
 家紋の起こりは平安時代の末頃から、公卿が自家の牛車に目印として図様をつけたことから始まったとするのが定説である。
 神紋の起源は、主として祭神に関する伝承や神職または有力な氏子の由緒に基づいて生れた。安斎随筆に「靹絵・輪鋒・万子を神の紋とす」とあって、神紋ではこの三つが代表的なものであり、なかでも三つ巴の紋を神紋とする神社が圧倒的に多い。



●神紋の多い順  旧社格が郷社以上の神社

1044 268 215 139 130
112 木瓜102 101 99 亀甲80

 巴はトモエというように、武士の弓手に着して弦から肘を守る防具=鞆からくるともいう。鞆のの形が巴に似ているからだ。さらに我が国、古代の宝器である勾玉が巴形であることから、神霊のシンボルとして神社などが巴紋を用いるようになった。三つ巴を神紋とする神社としては、 石清水八幡宮大神神社二荒山神社鹿島神宮香取神宮宇佐神宮などがある。
上賀茂社の紋  輪鋒というのは、輪宝とも書き転輪聖王の感得する七宝の一つ。剣をあつめ、柄を内に鋒を外へ向けて丸く並べたもので、聖王はこれを武器として敵を調伏し、四隣はみなこの威力に従った。のちに転じて仏具となり寺院に用いられる文様となった。これが邪気を払う武器として神社にも用いられるようになった。静岡県の神部神社の神紋が知られる。
 万字は「卍」のことで、これも寺院のシンボルであり、栃木県那須の温泉神社などに用いられた。
 伊勢神宮には古来神紋がなかった。それが明治になって皇室の紋章である十六菊を神紋とした。尾張の 熱田神宮の神紋は桐竹で、古来神衣に用いた図柄から来たという。 上下賀茂神社は、葵の葉を飾って葵祭を行った由緒から葵を神紋とした。三河の賀茂郡から発祥した松平氏は葵を家紋とし、後裔にあたる徳川家康は三つ葉葵を家紋としたのは、賀茂神社との因縁によるものである。そして、久能山・日光その他の東照宮は、いずれも三つ葉葵が神紋である。
大原野社の紋  尾張の織田氏は木瓜を家紋としていたが、越前の織田剣神社の神職の後裔ともいい、同神社は木瓜紋である。また木瓜紋は祇園社に用いられ、京都の 八坂神社、尾張の 津島神社、筑前の 櫛田神社などが用いている。
 狐を神使とする稲荷神社は、 伏見稲荷をはじめとして稲を神紋としている。藤原氏と縁故の深い神社は、いずれも藤丸を神紋としている。奈良の 春日神社・談山神社、京都の大原野神社・ 吉田神社、河内の 枚岡神社などがそれである。菅原道真を祀る各地の天神社は、 京都の北野神社をはじめ菅原氏の定紋である梅鉢を神紋としている。 これは、道真が梅を愛したことに因んだものである。
・写真:上賀茂神社の葵紋(右上)・大原野神社の藤紋



 その他、有名な神社の神紋としては、信州の 諏訪神社の梶の葉、 出雲大社の亀甲、肥後の 阿蘇神社の鷹の羽などがある。『蒙古襲来絵巻』を見ると、阿蘇大宮司の旗に鷹の羽の神紋が描かれている。変わったものとしては、紀州の 熊野神社の三本足の烏がある。これは、古代の中国で三本足の烏は太陽に住むという信仰からきたもので、烏は熊野神社の神使であることから神紋となったものである。





[資料:日本「神社」綜覧(新人物往来社)/家系(豊田武著:東京堂出版刊)/神社(岡田米夫著:東京堂出版刊)]