家紋の発生は、いまから約900年ほど前の平安時代後期ころにさかのぼれるようだ。公家の西園寺家の紋は「巴」だが、
実季のときに牛車の紋様として定めたことが古記録に残っている。その牛車の紋様が、所持品、家財道具、その他にも
多用されるようになった。やがて、このしきたりが貴族の間に広まり、家紋となっていったという。
この公家から始まった印は、やがて武士の間にも広まり、実用的な意味で用いられるようになった。
戦士である武士たちにとって、戦場において敵味方を識別することは、みずからの生き残り、のちの恩賞をえるうえで
重大事であった。それで、武士たちはこぞってのぼりや旗に家の印を付け、みずからの存在を明らかにさせた。
これを「旗紋」といい、さらに上級武士は陣幕にもその印を付け「幕紋」とよばれた。
優美で繊細な公家の紋に比べ、武家の紋は遠くからでも敵味方の見分けがつき、戦場でもすぐに描ける実用的な
印が多かった。島津氏の「十字」、足利氏の「二つ引両」などであり、武士にとって紋は簡単なものである方が
都合がよかったのだろう。
しかし、合戦のない江戸時代になると幕紋・旗紋は有名無実なものとなり、ただ家をあらわす印
「家紋」のみが用いられるようになった。さらに、江戸時代の後期になると、家紋をもたなかった庶民の間にも
家紋は広まっていたのである。
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丸に十字
丸に二つ引両
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