秋祭に奉納される蛙おどり(左)と神木千年杉
丹南町と今田町の境、不来坂(このさか)を下った右手に見てくるこんもりとした森が住吉神社の鎮守の森である。日本六古窯の一つ立杭焼の町である今田町のうち小野原・立杭・今田・四斗谷は、中世、小野原庄とよばれ住吉大社の荘園であった。小野原庄の氏神として、鎌倉時代の文保年間(1317〜19)に、住吉大社の分霊を勧請、創建されたのが当社の始まりと伝えられている。とはいうものの、古くから小野原庄の鎮守神として祀られていたことは疑いない。当社は別名「蛙の宮」とも呼ばれるが、その由来は鎮守の森がガマの伏せた姿に似ていることと、秋祭りの前日(宵宮)に奉納される「田楽踊り」が蛙の跳ぶさまに似ていることから名づけられたという。
ところで、住吉神社の祭神は、底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神に、息長足姫命(神功皇后)を加えた四神である。そのうち、底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神を総称して住吉大神と称し、黄泉の国からこの世に戻ってきた伊弉諾尊が筑紫の日向の橘小戸の阿波岐(あはぎ)原の海でみそぎ祓いされたとき、海の中より生まれた神様と伝えられている。息長足姫命こと神功皇后は応神天皇の母であり、三韓征伐をなしたことで知られる。出陣に際して皇后は住吉大神の加護を得、凱旋の後、大神の神託によって摂津に鎮祭されたのが住吉神社の始まりという。それもあって、神功皇后をも併せ祀り、住吉四社大明神と崇められるようになった。また、神功皇后と応神天皇に比売神を合わせて八幡三神とされ、全国に一万とも二万社ともいわれるほどに祀られる八幡神社(八幡社・八幡宮・若宮神社)の祭神である。
小野原の住吉神社は左に八幡神社と稲荷神社、右に春日神社が相殿として祀られているが、これは住吉四神に加えて応神天皇、倉稲魂命(稲荷神)、天児屋根命(春日神)を祭神として祀っている結果である。祭礼に立てられる幟に八幡大神宮と書かれるのは、ここに由来したものである。
『清水寺文書』によれば、鎌倉時代、隣村の清水村との間で境界争いを起こしており、相当の勢力を有していたことが知られる。その後、黒石・本荘・市原・木津・上立杭に分祀され、現在は、上小野原・下小野原・四斗谷・辰巳・休場の氏神となっている。本殿の左手お旅所後方の山中に、樹高16m、幹周り6mの杉の巨木があるが、これは分霊の際に神が隠れられたことから「かくれ杉」と呼ばれてる。秋の例祭に奉納される「田楽踊り(蛙おどり)」は「神舞」ともよばれ、室町時代より継承されてきた貴重な神事芸能である。現在、「住吉神社神舞保存会」により受け継がれ、昭和六十一年には「兵庫県ともしび賞」を受賞した。
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