タイトル
平安末期に登場した武士。最初は赤、白といった色で敵味方の識別をしていた。しかし合戦が重なってくると、 もっとみずからの所在(功名)をはっきりするためには、色だけでは役立たなくなった。そこで登場したのが武家の 紋章だったという。 各武将家の紋に注目しながら、その起こりと家系を探り、それぞれの武将家から派生した庶流家の名字と家紋も 追求していきたい。
信長肖像

公家にはじまった家紋は源氏・平家の白旗と赤旗の時代を経て、急速に武士の間に普及してゆく。
武家の家紋の発生
戦場の旗指物ほど大胆ではなかったが、戦国武将たちは系譜と同時に、家紋もその出自を誇るものとして不可欠なものだった。しかし、戦場を生き生きと駆け抜けた旗指物のデザインはあまりに生々しく、家紋としては残りえなかった。
武家と家紋
■羽継原合戦記(長倉追罰記)を読む ■見聞諸家紋を読む
■桓武平氏から出た武将家の家紋 ■清和源氏から出た武将家の家紋
■藤原氏から出た武将家の家紋

それぞれの地域で、覇を競った戦国大名たち。その家紋をみてみると、それぞれの地域の個性が出ている。時の運に見舞われていたならば、それぞれの家の家紋が、あるいは徳川家の「三葉葵」に変わって、天下人の家紋として尊重されていたかも知れない。
家紋map
源平合戦に活躍した東国武士たちは、平氏の没官領を与えられた。また、奥州征伐の戦功として拝領した新領地へとかれらの庶子たちが下向していった。こうして、東国武士を先祖にする名字と家紋が、日本全国へと広がっていた。
鎌倉武士たちの家紋



南北朝期から室町、戦国時代にかけて活躍した武将家の歴史を探る。
出自事典
織田信長、武田信玄、上杉謙信など戦国時代を彩った数多の武将、かれらは、領地拡大、全国統一といった自己の野望を 満たすため、合戦に明け暮れた。
列伝
東北から九州まで、数多の武将が興亡を重ねた鎌倉末期から南北朝時代、ついで応仁の乱に端を発した戦国時代。 それは、旧体制が滅び、既存の常識を打ち破り、新しい時代を開く、いわゆる革命の時代だった。名より実力 あるものだけがその過酷な時代を生き抜くことができた。戦国時代は、日本史のなかにあって、まさに光り輝いている 時代だったのではないだろうか。
地方別 大名一覧
■地方別索引 ■あいうえお順索引

武将家の割拠を地図で見る
・鎌倉時代の武将家・南北朝時代の武将家・室町時代の武将家
・応仁の乱当時の武将家・戦国時代中後期の武将家


一世の英雄が出た家はおおいに栄え、家名を誇り長い歴史を有した家であっても当主が凡庸であれば、はかなく衰亡 していった。武将の家はいかにして興りいかにして歴史の闇に消えていったのか。
戦国大名家名存続の難しさ
戦国武将の盛衰記
■桓武平氏/清和源氏系武将 ■藤原氏/村上源氏/諸氏系武将



平安時代後期の日本はまさに開拓時代であった。武士たちの先祖は日本各地にあった荒撫地を開拓し、新しく得た土地に庶子を配していった。 庶子たちは、その土地の字名をとってそれぞれの名字とした。名字はそんな武士たちの一所懸命の土地の代名詞でもあった。
武士と苗(名)字 …武家の苗(名)字はこうして発生していった
家名を表わす名字は、日本の歴史においてどのように発生し、変遷していったのか。 名字の起こりとその背景を武士社会にみる。
武士と地名と名字
戦国大名は、そのほとんどが成り上がり者だった。しかし。そんなかれらであっても、先祖から続いてきた系譜を誇っていた。しかし、その系譜はほんとうに正しかったのか。
戦国大名の出自と系譜の謎

司馬遼太郎氏の著書「街道をゆく」には、武士のおこりや苗字についての話が出てくる。司馬氏らしい史観で書かれた それらの文章を抜き書きしてみました。
「街道をゆく」から
■「三浦半島記」から-苗字の発祥について
■「奥州白河・会津のみち」から-武士の発生について

●発信者口上
 ごあいさつのようなものです。


家紋World スペース 姓氏と家紋 スペース 風雲戦国史

戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。 その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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日本各地に残る戦国山城を近畿地方を中心に訪ね登り、 乱世に身を処した戦国武士たちの生きた時代を城址で実感する。
戦国山城

幕末志士の家紋
龍馬の紋

応仁の乱当時の守護大名から国人層に至るまでの諸家の家紋 二百六十ほどが記録された武家家紋の研究には欠かせない史料…
見聞諸家紋