清和源氏の家紋から探る
清和源氏の家紋は「笹竜胆」が代表紋とされるが、鎌倉幕府を開いた源頼朝が笹竜胆紋を用いた確証はない。
清和源氏諸氏の家紋を見ると、足利氏が「引両」、武田氏が「菱」、佐竹氏が「扇に月の丸」、土岐氏が「桔梗」、
村上氏が「上文字」というように笹竜胆を用いる家は見出せない。清和源氏の流れで「笹竜胆」を家紋とした家は
といえば、徳川家に仕えて近世大名となった石川氏が知られるが少数派というしかない。
ところで、徳川幕府が編纂した「寛政重修諸家譜(寛政譜)」は、徳川家に仕えた大名・旗本の系図と家紋を
網羅したもので、源平藤橘をはじめとした五十七氏千百家以上の家紋を知りうる格好の史料である。
寛政譜に記載された清和源氏は、義家・義親・義忠・為義・義時・義隆・義綱・義光・頼清・頼季・頼任・頼光・頼親・
満政・満快流の十四氏である。それらのなかで各流の代表紋はといえば義家流の足利氏が「桐紋」と「二つ引両紋」、
義時流が「笹竜胆紋」、武田・小笠原氏らが含まれる義光流では花菱・割菱・松皮菱などの「菱紋」、村上氏が含まれる
頼清流では「上文字紋」、土岐氏一族の多い頼光流は「桔梗紋」、満政流では「沢瀉紋」「永楽銭紋」、
信濃に広まったという満快流は「梶葉紋」がそれぞれ多数派であり各流における代表紋といえそうだ。
とはいえ、義時流では森氏一族の鶴紋が多数派を占めており、鶴紋を義時流の代表紋とするのはためらわれる。
ちなみに、寛政譜に記載された清和源氏各流の総家数千八百家のうち、「笹竜胆紋」を用いた家は四十三家で
全体に占める比率は1%で清和源氏の代表紋とはいえない数字であった。
● 源氏・平氏略系図
● 清和源氏各流の家紋
■各流諸家の代表紋
■村上・宇多・嵯峨源氏の家紋から探る
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[参考資料:日本紋章(沼田頼輔著・人物往来社刊) ・歴史読本432号 ・天皇家と多田源氏(三一書房)]
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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応仁の乱当時の守護大名から国人層に至るまでの諸家の家紋
二百六十ほどが記録された武家家紋の研究には欠かせない史料…
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